【第35話】 |
前回(第34話)、よく泣く美人と泣かない美人はどっちが魅力的か?と問いかけましたところ
男性諸氏から熱の入ったコメントを頂戴致しました。
ふんふん、意外と議論ができるネタだったのね、美人ネタ。
などど、皆様の温かいコメントに気を良くしたじいは、今回「苦労した美人」と「苦労してない美人」
はどちらが魅力的か、ということについて自分なりの考えを書いてみることにした。
(また、いっぱいコメント下さいませ。今度は女子の皆様も)
よく「苦労は顔に出る」と言うが、それは本当であるとじいも思う。
良くも悪くも人間、生きていれば人生や生き様が「顔」に刻まれてくるものである。
顔の筋肉の性質から考えてもそれはそのとおりで、普段の表情がどんなものかによって
その人の「顔つき」が決まると言っても過言ではない。
つまり、人生の中で「笑っていた時間」が長い人は笑顔を作るときに使う筋肉が
発達して柔和な印象の顔が出来上がるし、反対に「怒ったり泣いたりしていた時間」
が長い人は悲しげだったりトゲのある顔になる。
分かりやすく言うと、顔の筋肉は「形状記憶」するのである。
何を形状記憶するのかというと、それは「あなたの心の形」ということになる。
顔は履歴書、とは良く言ったものである。
ところが、これがこと「美人論」になるとどうだろう?
話は最初に戻るが苦労が顔にでるものとすると「苦労した経験を持つ美人」より
「苦労経験ゼロの美人」がやっぱり、キレイ度は高いのだろうか。
じいは基本的には「苦労した人は信用できる」といった考え方を持っているので
ここはやはり「苦労美人」に一票を投じたい。
(え?なんか演歌みたいっすか?)
自分が苦労したから他人にも苦労を求めるような「苦労スパイラル」を作る場合は別として
苦労したからこそわかる「人の痛み」や「人の切なさ」の理解ができる人は、顔立ちのいかん
に拘わらず「慈愛オーラ」が出ていると思うのです。
慈愛オーラが出せる人…これはそうそうたくさんはいないと思う。
美人オーラが出せる人が必ず幸福とは限らないが、慈愛オーラが出せる人は、ある意味
人生、無敵のはずである。
慈愛オーラの本質は「共感度」だとじいは思うが、相手の気持ちに寄り添うような優しさを
持つ人からは、大抵、この慈愛オーラが出ているような気がする。
もちろん、慈愛オーラの持ち主は強くもある。
じいも過去に何人かこの「慈愛オーラ」らしきものを(じいにはオーラが見えないので)
出している人に会ったが、どの人も皆、優しかったし芯が強かった。
気持ちに寄り添う、と言っても、決してべったりした感じではなく、きちんとした距離感
をもって、礼儀正しくアドバイスをくれた。
その人たちは、どんな美人、どんなハンサムよりも、じいの心に残っている。
全員の決定的な共通点は、自分自身を認め、謙虚で明るいこと。問題から逃げないこと。
そして…苦労を乗り越えたことだった。
苦労といってもいろいろある。
病気もあれば経済苦もある。愛する人との別れもあれば、裏切られたりすることもある。
要するに「あぁ、何でこんなことに…」というような人生の出来事、これらは全て苦労経験
にカテゴライズされるはずである。
そんな経験に悩み、苦しみ、そして懸命に乗り越えてきた人からは、きっとご褒美に
「慈愛オーラ」が出る仕組みになっているのだろう。
そういった意味では、美人オーラを凌ぐ、慈愛オーラが何だか格上のような気が
するのは、じいだけでしょうか?
だけど、ひとつ注意点。
どんな壮絶な苦労の渦中にあっても、全く顔に出さない人がいる。
そういった人こそ慈愛オーラの持ち主。
(共感度の低い、能天気キャラでさえなければ…。)
追 伸
某宝飾店のイベントに行って来ました。
仕事でお世話になったクライアントさんだったので、お招きに預かり
目の保養をさせて頂いたのだが…。
どう見ても80歳を遥かに過ぎたおばあちゃんが、宝石を見に来ていた。
ダイヤがきらめくショーケースにすがる様につたい歩きをし、目的の指輪
が展示してある場所までヨロヨロと移動なさっていた。
おばあちゃん、手を貸しましょうか?と一瞬思ったが、お目当てのダイヤの
指輪を手にした彼女の表情の輝きが、じいのお節介を止めさせた。
いくつになっても、女は女なんだなぁ、とじいも感慨ひとしお。
何歳になっても、美しくなろう、きれいなものに触れようとする女心。
おばあちゃんのシワだらけのお顔が、ダイヤよりも光った瞬間だった。
ちなみにこのイベント会場を飾るお花が、びっくりするほどきれいで、
思わず写メってしまった。
こんなに寒くても、春が近いのねぇ。
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このサーモンピンク(?)と菜の花色のアレンジは、どちらもチューリップですかね?見事ですね。チューリップは大好きです。
あ、美人の話でしたね。
私の個人的な経験では、すべての美人は、それぞれが異なる美しさでした。で、美人であればあるほど、なぜか「自分に欠けているところ、欠けているもの」に自覚的な方が多く、それが裏返って(?)他者に対するある種の「許し」のようなオーラになって現れていたように思います。(「オーラ」とかって、あまり簡単に言わないほうがいいですかね)
で、このコラムを読んでさらに考えました。「女性にとっての(女性としての)美」に対応する「男にとっての○○」って何だろう?
単なる性差ではないとしても、あんまりつっこむとちょいと難しい方面に行ってしまいそうなネタ振りではありますが。
雅さん
いつもありがとうございます。あの花はピンクはチューリップ、黄色は…よく見掛ける花ですが、名前がわかりません。ごめんなさい。それから「女性の美」に対応するものは「男性の器」だと思います、じい的には。他の皆様はどうでしょうかねぇ?
『許す』ことができる女性は確かに美人な気がします。
世の中にはいろんなタイプの美人がいますよね。
その各タイプに会う男性のタイプがいるような気がします。
結局は似たような体験や器を持ったもの同士が
相性がいいような気がしますね。
慈愛オーラに対しては器が大きいオーラみたいな風に。
ただ、どのタイプが各個人にとって魅力的に
映るかは千差万別な気がしますね。
そうでなくては、一人の女性を奪い合うはめになっちゃいますし。
世の中って結構うまくできてんだなぁとか想います。
ジョージさん
コメントありがとうございます!男女を問わず「魅力ある人」とのご縁を大事に、自分を磨いていきたいものですね。じいも頑張ります。