【第45話】 |
ちょっと前に、映画「マリー・アントワネット」について書いた。
そこから学んだことは「心が満たされないと、女は身を飾ることに走るのよねぇ」と
いうことだった。(…それだけか?!)
じいは、一時期、真剣に映画評を書く仕事がしたいと思ったほど、映画が好きだった。
…だった…。
もちろん、映画は相変わらず好きなのだが、こう忙しくては最早「観たいもの全部観る」
わけにもいかず、映画評を書く夢は露と消え去った…。
が、代わりに今は美容を通してたくさんの女性の「リアルな人生」という名の
映画を見せて貰っている。
そして、つくづく「事実は小説より奇なり」という言葉を実感している。
小説よりも映画よりも、真にドラマティックなのはやっぱり「リアルな人生」であるように思う。
じいが映画好きになったのは20代の頃。
病気をしていて時間ばかりを持て余していた時代、映画は本当に良い友達だった。
大体において、じいは家具でも服でもアクセサリーでも、クラシックなものに惹かれる。
映画にしても同じことで、所謂「古き良き時代」の作品を好んで観ていた。
映画好きが昂じるにつれ、今度はその中に登場する「麗しき女優たち」の人生に興味が
移ってきた。
オードリーやモンロー、ディートリッヒ、バーグマンそれからジーン・セバーグなど…。
「きれいだなぁ」と思った女優が生きたバックグラウンドを知りたくて、彼女たちのことを書いた本を
次々と読み漁った。
じいなりの結論は「世界中が夢中になるほどきれいで魅力的でも、その美しさに負けないだけの
パワーがないと、どうやら幸せにはなれないらしい」ということだった。
美しすぎることで、自らの虚像やプレッシャーと戦いながら生きた女優たち。
中には、一番身近な存在であるはずの「自分自身」が誰なのかわからなくなり、
命を縮めた女優もいる。
それはそれで、ひとつの神話としての価値はあったのかも知れないが、
やはり大事なのは本人の幸せであったはずだ。
最近ではマリリン・モンローに憧れていたアメリカの若いタレントの話がニュースを賑わせていたが、
どうせモンローを真似るなら、あの愛くるしさだけにしてくれれば良かったのにと思ってしまった。


(写真は九州のホテルにディスプレイしてあったモンローの実際の衣装。ウエストがとても細かった!)
「美」はパワーである。
だから、美しすぎるほどに美しく生まれついた人は、その「自らの美」というパワーを使いこなす
「心のパワー」が必要なはずである。
でないと、自分の美に、自分が滅ぼされてしまう。
「美」だけでなく、才能やお金や名誉や社会的地位もパワーと考えれば、どれを持つ場合も
「それに倍する心のパワー」がないと本当には幸せにはなれない気がする。
洋の東西を問わず、古き良き時代のスターたちは本当に幸せだったのだろうか…?
などと、出口のない答えを求めつつ、今日も「さくらん」いつ観に行けば良いんだ??と焦るじい。
きっと、東京はいっぱいに違いないから、博多か広島か仙台で観るか、と一人目論んでおります。
フランス王妃に会いたくなったり、ファンキーな花魁に会いたくなったり、全く忙しい。
どなたか、じいより先に「さくらん」観てきたお方がいらしたら、ぜひともご感想の書き込みを
お願い致します。
原作すら、読んではいないのですから。
…姫は「さくらん」、観たくないかなぁ???
追 伸
じいの中では「純愛もの」の代表作は「ベティ・ブルー」になっている。

そ、そんなにびっくりせんといておくれやす。
あれは、作家の荻野アンナ先生が「フランス版 山之内一豊の妻」と評されたが
そこまでいかなくても、愚直なまでに恋人の才能を「信じて信じて信じぬく」ことが
できたベティは、幸せだったにかもしれない。
「小さな恋のメロディー」と「ベティ・ブルー」が純愛映画の同格だったりするのはどうですか。
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「小さな恋のメロディー」と「ベティ・ブルー」が純愛映画の同格,でいいじゃないすか。
ベティー・ブルーはいまでも夜中に時々見ます。DVDで。
ベティーの古い友人の店を手伝うほんの束の間の幸せな時期に、オリーブのセールスマン(こんなのがいるんですよね、びっくりした)を騙して「アタッシェケース一杯のオリーブ」を巻き上げるくだりが私は好きですな。ベアトリス・ダルは私のど真ん中ストライクですし。
主演男優のジャン・ユーグ・アングラードは「恋の病」にも出てますよね。ナスターシャキンスキーの。これも良かったですよ。違った意味で仏映画っぽい。監督がまた「DIVA」のあの人ですもんね…
って、今度また違う「場」で、映画の話をたくさんしましょう。
現実は何よりもドラマチックだけど、自分が関与できないからこそ、映画は楽しんでいられます。力まずに「もし」や「たられば」を楽しめる映画も私は好きです。
雅さん
そうですか、ベティ・ ブルーを今もご覧なのですね。じいはジャン・ユーグ・アングラードのような「おヒゲのある優男」に弱いです。ちなみにベティ・ブルーのサントラも持ってますが、メリーゴーランドのバックで流れている摩訶不思議な音楽は、じいの「心の友」です。
肝心なことが抜けてました。
なぜ「小さな恋のメロディー」と「ベティ・ブルー」が純愛映画の同格でいいのか、でした。
この2つの映画に手法やストーリーの骨格としての共通点がある、とか同じレベルのなにかがある、という評論家っぽいことではなくて。
あくまでもこの2つの映画を見た個人(特定の)にとって「同格」と思わせるものがあるのであって、それは外の世界ではなく、あなたの世界にだけあるものでかまわないから。ということを言いたかったのでした。二つの映画と、特定の個人の心の中の何か(記憶とか経験とかの総体として)という3つの相互作用が「小恋」と「ベティ」を同レベルに持っていくのかと。
なんだかかえって意味不明にしてしまいましたが・・・
雅さん
またもコメントありがとうございます!ベティと小恋の共通点…。じいの中では「ただ、ただ好き、信じてる」の一言に尽きまする。…だったら他にもそんな映画、あるだろうよと突っ込みを入れないで下さいね。