なぜ人は働くのか

だれしも考え方の「クセ」というのがありますね。
自分に都合の悪いことがおきると、他人や「運」のせいにする人。自己嫌悪で落ち込んでしまう人。
或いは、どんなことが起こっても自分が招いたことと認め、なんとか自分で解決しようと
する人。こういった各人の考え方のクセを心理学では「認知スタイル」というようです。

就職活動で立て続けに面接に落ちてしまった人が、
「自分はもう企業では通用しない人間だ」と落ち込んでしまい、
チャンスがまだあるのにあきらめてしまうこともあります。
こういう人は今まで生きてきた中で、「自分は何をやっても思い通りにならなかった」という経験を
いくつか重ねてきた結果、このような考え方のクセを身につけてしまったのかもしれません。


その反対に、「自己効力感」を備えている人。
きっとうまくやり遂げられる、と思う自信を持っている人とも言い換えられます。
自分ならそれができるだろうという気持ち。
過信は禁物ですが、自分を信じることって大切ですね。

さて、Mさんの週報。


働くとはやはり根本に人のためというのがあって、その次に楽しいがあるのだと気づきました。
言い換えれば、自分がしていることの先に人への貢献が無ければ楽しいも、私が目指す「必要とされる人間」もないのだと思います。これまでの私から推測される「これからの私が最もできること」(適所)を就職活動で見つけたいと思います


すごいことに気付いてますね、Mさん!
そう、人様のお役に立つことがまず「働く」ことの根っこにあるということ。
働くは、「傍=はた」を「らく=楽」にすることだと、田坂広志さんは言ってます。
はたをらくにする、まさに喜んでいただけることであり、お役に立つことですね。

こんな大事なことに気付いているMさん。
しかしこれからの就職活動は順風満帆ではないかもしれません。
が、どうぞ自分を信じて進んであきらめずに進んでいってほしいと思います。

何のために働くのか。
私はようやくこの年になって、心から「人様のお役に立つため」だといえるようになりました。
もちろん自分のためでもあります。
自分の限りない成長のため。

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コメント

先輩からよく働く事の意味を聞かされた結果、「元はこちら」良いことも悪い事も自分があるから、ラテン語の綴り忘れましたが「コギト エルゴ スム」(我 思うゆえ 我あり)ですよね、確か禅では「随所作主」だったと思いいます。良いときは自分が頑張ったから人が助けてくれたおかげで成功した、だから同じように頑張っている人には手を貸そう「情けは人の為ならず」、悪い結果の時は世の中に「無駄」は無いからきっと次に何か良いことが来ると前向きに考え今度この様な場面の時は良い方向に向ける、次のシ準備をする「備えよ常に」って考える様になりました。後は困った時の神頼みですが、これで1歩は進めるような気はしませんか

恣聞|2007年01月30日

しもんさん、なんたる納得度の高い人生観。というのは、考え方に無理がないからです。良いこと悪しきこと、どんなことが起こっても、この考え方だと前向きな一歩を踏み出すことができますね!しもんさん、いろんな分野のことをご存知とお見受けしましたぞ。お奨めの書籍や座右の銘など、またご指南下さいませ。

mihoyo|2007年01月30日

就職活動、大変そうですね。
自分の特性を考えならがら行動することが大事だと思います。
無理は続きませんからw
私も自分の喜びが直接的なものより、人からの感謝であると気づいてから行動が変わりました

ニラレバ味噌抜|2007年01月31日

ニラレバ味噌抜さん、コメントありがとうございます!
おっしゃるとおり、就職活動は売り手市場、なんて言われながらも簡単ではないようです。Mさんは日々テンションが上がったり下がったりと葛藤する中で、しかし、生きていく上で大切ことに気付いているようです。たちはだかる壁が人を成長させるんだなあ、と思えます。

ニラレバ味噌抜さんがおっしゃるように、人からの感謝によって自分の重要感を感じられることは、変えがたい喜びにつながりますね!
やはりいろんな経験をなさったからそう思えるのでしょうか?
いや、私自身がそうだったものですから。

ニラレバ味噌抜さんもそうなさっていると思いますが、私も自分が相手の方のためにできる精一杯のことを、心を込めてすることにしています。
万が一相手に感謝されなかったとしても、なんでわかってくれないんだー?となるべく思わないようにもしています。何が問題だったんだろう、と考えることはしますが。
でも、自分が今の与えられた環境の中で、一生懸命やっていることは、きっとこの先の素敵な流れを作ることにつながっていきますよね。
などと日々自分に言い聞かせているところもあるのですが・・。いやいやまだまだ修行が足りませぬ。
またこれからもどうぞご覧いただけますよう、よろしくお願い致します!

mihoyo|2007年01月31日

福沢諭吉 訓 の中に 世の中で一番楽しく立派な事は 一生涯を貫く仕事を持つ事、
世の中で一番寂しい事は 仕事が無い事、
世の中で一番尊い事は人の為に奉仕して決して恩に着せない事、と有ります 外にも有りますが 何故働くのか? ほんまに深い事であると共に 私はやはり 当たり前の事を当たり前にする 難しさ が そこには有ると思います 私自身が今痛感している所です

ken-S|2007年01月31日

けんさん、ありがとうございます。福沢諭吉翁もそのような言葉を残しているのですね。
そうですね、仕事がないことの寂しさ。働くことが当たり前だと思っているけれどもそうでなくなったときに、はじめて働くこと、自分を必要とする場や人のいることのありがたさを痛感するのだと思います。時代は移り変わっても普遍のものがありますね。先人の残した言葉は重いです。

mihoyo|2007年01月31日

つい先日の事ですが、仕事中に長男(小4)が発熱したとの連絡があり30分だけ早退させてもらい帰宅しました。帰宅後に病院に連れて行こうとしたのですが39度近い熱で、外は日が暮れてあいにくの小雨模様のため、車の運転が出来ない私は病院までの5分足らずの道のりを長男に歩かすのが可哀そうになり、そのまま寝かせておきました。翌朝には36度台まで解熱した長男に「念のために今日は布団に入っておくように」と言い聞かせて、同居の父や長女(中2)に世話を頼んで、どうしても仕事を休めなかった私は職場へ向かいました。こんな私でも、人様の役に立って働けているのかなぁ?・・・?
傍をラクに出来ているのかなぁ?傍とは家族のこと?他人のこと?
そんな事を考えていると自分はちゃんと胸を張って『働いてる』とは言えない・・・
こんな風に考えてしまうのもクセのものなのでしょうか・・・?

Miki|2007年02月01日

Mikiさん、とても深い問題提起をありがとうございます。Mikiさんの状況、わかりすぎてつらいですね・・。私も子供が入院したときに、発病から入院2日目まで出張で不在。子供の時間を追うごとに衰弱している様子を聞くにつけ、本当につらかったです。かといって、目の前の仕事をほっぽりだして帰るわけにもいかずに断腸の思いで主人や実家の両親にお願いしたことがありました。

愛は何にも勝るものです。ましてや子供への無償の愛は言わずもがなです。だからジレンマを感じられるのは当然だと思います。
仕事か、子供か。制約条件のない中で単純に天秤にかけたら、当然重いのは子供です。しかし、仕事には『責任』が伴うというのが、これまた愛の重さ、だけでは判断できない難しさですよね・・。

傍をラクにするのは、家族?仕事で関わる人たち?
みーんなだと私は思います。じゃあラクにするって言うとどっちを優先するべきなの?優先順位は多分人それぞれでしょうね。この間受けたセミナーでも、「家族」「仕事」「地位」「お金」「健康」「社会貢献」などなど30の項目に、自分が大切だと思うものから順に番号をふっていきました。私と同じ順番をつけた人は一人とていません。人の価値観はさまざまなんですよね。だから人は分かり合おうとする努力もしないといけないのですよね。
あ、話がそれました、すみません・・。

戻りますが、私からすると、Mikiさんは胸を張って働いている、と
言えると思います。だって、責任を果たすことはそう簡単なことではないからです。家族を一番に考えながらも、心の中でごめんね、と言いながら仕事に戻る、そんなことがあってよいのだと思います。

mihoyo|2007年02月01日