人はどこまでわかり合えるのか

ここのところ、「共感」「働くとは」「価値観はいろいろ」などと、少し概念的なテーマを取り上げていますが、皆さんにご意見をいただくことで、開眼することが多々あり、大変感謝しております、ありがとうございます。

おかげさまで輝きプロジェクトのMさんも、皆さんが下さったコメントから、新たな気付きや救いが
たっくさんあるようです。

今週の週報から。

「働くとは?」と頭をがちがちにして考えて一週間くらい。何となく、そのがちがちから抜け出たような気がします。やはり、「適材適所」と合わせて自分を成長させてくれるものですね。


ガチガチから抜け出せたとは、よかったよかった。
一つのテーマについて考え抜くこと、悩むことの価値についても少し体感できた様子です。


さて、今回のブログでは、久々京都の話など、と考えていたものの、今新幹線に乗ったら、
ちょっと考えてみたいことが起きました。それは「相互理解」ということ。
人と人はどこまでわかり合えるのか、或いはわかり合おうとするのか。。。

私の個人ブログで展開している内容とも一部重複しているのですが、お許し下さい。
というのは、新幹線で以下のブログを書いて、しばらくしてふと考えてみるうち、人と人とが
わかり合うということについてお悩みの壺にはまった感があります。

【個人ブログより抜粋】
今、名古屋で降りた人。
いかにもエリートサラリーマンという感じ。
スーツにも隙がなく、きらりと光る銀縁のメガネが
これまたクレバーそう。

しかし、あきませんねえ、マナーが・・・。
こういう仕事をしているから余計に目に付くのかも
しれませんが、一人ひとりが周りの人への配慮を
忘れてはなりません。

名古屋でこの男性が降りたあとは、
・椅子は最大限リクライニングされたまま
 (邪魔になるっちゅうねん)
・室内灯はコウコウとついたまま
 (まぶしいっちゅうねん)
・おしぼり、弁当は窓際に放置したまま
  (見苦しいっちゅうねん)

袖ふれ合うも他生の縁。
見知らぬ者同士でも、お互い気持ち良く過ごしたいものです

という記事をアップしたのち、少し経ってある話を思い出しました。
どの本だったのかは、覚えていないのですが、こんな内容です。

『地下鉄に乗ってきた男と、二人の子供。ほどなく二人の子供が車両を走り回ったりと騒ぎ放題。
しかし男は、子供たちに注意するわけでもなく、じっと座っていた。
乗合わせた乗客は誰もがイライラしていた、「こんなに騒ぎ立てる子供になぜ注意をしないのか」と。
一人の乗客が見かねて男にこう言った。「あなたのお子さんたちは、これだけ周りに迷惑をかけているのに、ほったらかしで注意しようともしない。おかしいじゃないですか?」皆、そうだそうだ、と言わんばかりにうなずいた。

そのとき、男はハッと我に返ってこう言った。
「ああ、そうだったのですね、気付かずに本当に申し訳ありません・・。実は今、病院で妻が息を引き取りました。この先二人の子供を抱えてどうしたものか、頭が真っ白になってしまっていて、子供たちのことがまったく目に入らずに、大変失礼しました・・。」』

人と人とは言葉、表情、態度、或いは間合いや空気でお互いを理解しようとします。
もちろん知ったもの同士であれば、目の前に展開されていることだけではなく、
互いを取り巻く状況やおかれている立場も踏まえた上で。

上記のブログのように、目に見えることだけで、その人のことを「あきませんねえ」などと
判断するのも良し悪しです。
新幹線の彼はもしかしたら、「自社の経営が危機的状況だ。このままでは不渡りを出してまう。
なんとかならないものか」などという気持ちでいたのかも?
周りへの配慮など、思いもつかない、そんな状況だったのかも?
考えすぎかもしれませんが、ちょっと気になったので失礼しました!

コメント ( 2 )働きウーマン | 2007年02月06日
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コメント

相互理解についてですが、
個人的にはどんだけ極めようとしても
相手のことを100%は理解はできないのではないかなと
想っています。
あくまで、自分の中にあるそれに近いデータを
引用しているだけという感覚があるので。
なので、相手を理解したつもりになることは
非常に危険やなぁと想います。
理解はしようと想っても、その理解を信用しきるのもまた危険と。
相手と自分は違う。
それを受け入れるのが相互理解の土台ではないのかなぁと
最近は考えています。

るーしぇ|2007年02月15日

るーしぇさん、ご意見ありがとうございます!
本当にそうですね、どれだけ極めようとしても相手の心のうちまでは理解できないですものね。それをわかろうとするのはまだしも、わかったつもりになって話をすることは、却って相手との関係にしこりを残すことになる気がします。

ちょうど最近、私自身がそんな違和感を感じる出来事があったもので、
余計にるーしぇさんのお話に納得できました。

「相手と自分は違う」それを念頭におき、”自分の価値観の物差しで判断し、わかった気にならない”ようしたいですね。

mihoyo|2007年02月16日